東京合気道シニア稽古日誌 2008

最終更新日 2010年7月29日

2007年

2008年

2008年1月19日 296日 黒帯と白帯の違いを出せ

最近の私の稽古内容は「上げ手」「転換」と「合気の手」(二段の課題、二教に関係したもの)が中心となっている。今、与えれている課題は小手の合気の二段の練習。外部の読者にイメージしやすく申し上げると、「片手取り・片手交差取り・両手取り」において力抜きの手で、相手の体軸を崩す術のような態様の稽古です。他で見られがちな手首関節を二教で極めるようなものでは、ありません。二教の形をしていますが、相手を軸貫骨抜きにする崩しの術です。この練習について先生に、『親指で捻っている、内に入ってこない!』と指摘される。たしかに、親指で手の内側に捻っている、あるいは単に押しているだけだ。押さえ込もうという気が働くと、捻る、抑える。力で押さえ込もうという意識は減ってきていると思うが、まだ出てしまうようだ。だから、『Sさんは若いから』と先生からからかわれるが。もういい年なのに、負けてたまるかという気持ちだけは強く出ている、そろそろ押さえてやろうという動作や気持ちは、もう少し枯れてもいかがですか。程の意味です。

「稽古の目的が少しでも分かっているなら、捻るな!」となるのだが、これが簡単には直らない。まだ意識(捻ってはいけない)が足りないし、体に染みこんでいない。先生からは『白帯ならこの程度で好いが、黒帯ではまだまだ。もっと黒帯は白帯との違いを出さないとダメだ!』。私自身もこの程度の内容で満足していないし、その違いを相手に感じさせるだけの内容を身につけたいと思っているのだが。

1月26日 298日 私は力技!

『力技だ』とは先生からよく言われる。学生のS君とよく似ているそうだ。『この二人(私こと斉藤とS君をさす)はよく似ていて、力技』と言われる。力での意識は無いつもりなのに。しかし、彼も『そうです、私の体癖は斉藤さんと同じです』と答えるから、ウーンそうなのか、と考えてしまう。ごく普通に動いているつもりが、強引で(とも先生から言われる)、力ずくで、押え付けているようだ。となると意識改革が必要となるが、私は意固地で頑なところがあるようだから、凝り固まった感覚(力で動いていない)を溶かすのは容易ではない。

2月2日 300日 軸が立っていなかった

「合気上げ」は前傾姿勢の是正を何度も注意されている。今日は、先生に片手で頭を押さえられた状態(中心が動かないように固定された状態)から合気上げをしたところ、その姿勢だと言われる。良いと言われたのは、私の感覚からすると少し反り気味で、それまで自分のイメージした軸を立てる姿勢とはかなり違っていた。“軸を立てる天地人”は基本の基だから、まずここから直さないといけない。そして、『周りの人の目には見えない胸と足腰の使い方、その瞬間に吊り上げてしまう』。

2月5日 居合 45日 居合の基本は「横雲」

『納刀時に腰を引いている。右踵を上げ(上げすぎてもダメ)前傾姿勢になったとき腰を「く」の字に曲げない』。これは以前にも指摘されたへっぴり腰だ。その他の訂正点の指摘を受けたあと立ち技の稽古に入る。座り技、半立ち技と較べて基本的に違うのは「血振り」で、刀身を水平に振る。それぞれに「血振り」が異なるのは、養う動作と体が異なるからである。立ち技は16本の技があり(他に口伝技あり)、覚えるのは大変だが、座り技の応用が多いとのことだから何とかなるだろう。いずれにしても『基本は「横雲」。しっかりと身につけること』。

2月9日 302日 気配を察知する

合気道稽古終了後の一刀流剣術の稽古。素振りの稽古で、私の上段からの打ち込みを、石川先生が正眼に構え、私を見ることもなく下を向いたまま外した。何度やっても外される。相手を見ないで、なぜ打ち込みの剣を外せるのか、との私の質問に『気を感じて外す』。私の斬ろうとか、打ち込もうとする気配を感じ、察知する、気を感じていることになる。一応、私も同じように下を向いて試してみたが、目を開けていても剣を外せないのが、下を向いたままで外せるわけがない。『稽古を積めば、気を感じ、掴める。外せるようになる』と言われていたが。今日は実体験した、石川先生の剣の遊びの報告。石川先生にとっては、理論的な当然の技術であって不思議でもなんでもないことを、遊んでいるようだ。

2月16日 303日 鏡を見ながらチェック

道場の鏡を見ながら上げ手、転換の動きをチェックする。鏡を見ながらゆっくりと動いてみる。特に前傾姿勢は要注意点。頭を突っ込まない、肩を動かさない、身体の上下動もしない。鏡の前では意識的に動いているから悪くはないが、これは誰でも同じだろう。あとは好いイメージを稽古の中で持続、継続できるようにしたい。私の気持ちのなかでは、今までは、手の動きに集中していた嫌いがあったので、これからは、ゆっくりと動くことで、前傾姿勢や肩の動きをチェックすることも必要だ。

2月19日 居合 46日 半立ち技のチェック

半立ち技の復習。以下の点を指摘される。(1)血振り:手だけの振りで、腰を使っていない。(2)納刀時の左指:親指が鞘口から出たままになっている。(3)納刀時の腰:腰が浮いて伸び上がっている。(4)納刀は刃を斜めではなく上に向けて納刀する。

2月20日 304日 「気」が入ってこない

Aさんと稽古をしていたとき、先生がAさんに『Sさんに技が掛かれば昇段させてあげるよ』とからかっていた。で、「交差取り・二教」−右手で相手の右手を掴む。見た目にはこうした形式なのだが、これを崩しの術として行う。他で見られる手首を捻るような体術ではない。左手なら左手−。最初はAさんが取りになり、私に技を掛ける。掛からない。手首を掴んでいても掛からないなと思う。次に私が取りになってみるが掛からない。Aさんの感想は、私の二教は『気が入ってこない。押す、捻る動作の悪さも目立つ』と言う。それは、私が彼に感じたこととまったく同じであった。では、何が、どこが先生と違うのか? 先生から同じ技を掛けられると、体の中に何かがスッと入ってくる感じがするのだ。この力の無駄のない作用こそ「気」だと思うが、この「気」が入ってこない、感じられないことが一番大きな違いではないだろうか。

この「気」を言葉で説明するのは難しいが、例えば手の平を30pほど拡げて向かい合わせ、指あるいは掌に気力を集中する。すると掌に僅かだが圧力、敢えて言えば、オブラートで柔らかく接触する、押される感じ、ともいえる(目を閉じて合わせていた掌をゆっくりと移動させると、気の有るなしを感じやすくなる)。石川先生の「気」は上半身に一瞬染み込む感じ。いつだったか、二教を教わっているときに、『一瞬のある種の感覚を感じて、相手に入る』と言われていたが。この技を掛けられたときに身体で感じる「気」がAさんにも、私にも感じられない。どうすれば「気」が入るようになるのか? 

2月26日 居合47日 動きの意味を捉える

居合全般にいえることだが、今まではただ単に手順通りに抜刀し、刀を振るだけで終わっていたが、それぞれの型の動きには意味がある。たとえば、『「横雲」での抜刀は敵の右霞を切る』と教わっている。つまり状況設定を明確に把握する必要がある。体、足腰、目の配りなど状況に合わせた意識をもって動く。ここはどこそこを斬る、ここは敵の動きをみる、といった意識、動きの意味を捉えていないと体の動きが嘘っぽくなり、真実みが出てこない。

2月27日 306日 千回注意しても直らない

二教では力みが出てしまい『また力んでいる、Sさんには何百、いや千回ぐらい言っているのに』と先生。そう、先生の言われるとおりです。

3月4日 居合48日 慣れた頃に悪い癖が出る

納刀時の、「く」の字をまた注意される。道場で鏡を見ながら納刀してみると、「く」の字になっているのが分かる。前回指摘を受けてからは、かなり意識して直しているのだが、ときどき悪い癖が出る。まだまだ稽古が足りないのだ。『納刀に慣れたころ、悪い姿勢になり、それが癖になってしまう。血振りも含め、師とはまるで違った動きになっている』。また、前傾しながら剣先を鞘口に入れるまでの納刀の動きに途切れがでてしまい、スムーズさが無い。

3月22日 311日 剣術に進歩がない

昨年の秋頃だったか、「臂力の養成」の要点を先生から教わり、「臂力ができた」と日記にも書いているが、二教と同じで、相手が慣れてくると掛からなくなる。今日も『分からないかな!これだけ言っているのに』と先生。その後の剣術でも、先々週の稽古ではできた、正眼の剣を八双から斬り崩すことが元に戻ってできなくなり、先生からも『あー……』。呆れたというか、言葉にならない感じ。

稽古終了後『剣術はあまり進歩見られないね』と言われる。あまり進歩が無い、ではなく、まるで進歩が無い、が私の実感だ。『息子に最近剣術を教え始めたけど、私の言うとおりにするから、身内を誉めるのも何だけど、筋がいいし、素直に聞くから上達が早い』。先生から稽古中に『Sさんは素直に聞かない』とよく言われる。先月も触れたが、私は頑なところがあり、勝手に自分で決めつけることがあるから、元来が素直でないのは確かだが。では進歩しないのはなぜか? 言い訳的には、教わったことを直ぐ忘れる。理解(稽古の中で)するのに時間がかかる(理解していない)。教わったとおりに身体が動かない。いや、単純にいって剣術は難しいから(下手だ!) となるが。

3月25日 居合 51日 居合稽古終了

石川先生の稽古の都合で練馬での居合稽古は、今日が最終日となる。日野の指導に行くようになるから。初めに礼法。私の礼法を『ダメだ。良くない。礼法をみて、人は力量を判断できるものだ。礼法も無駄な動きを削り、シンプルに動く』。私は礼法の稽古はしていないし、モタモタした動作であることはわかっている。礼法自体が手順どおりできているのか、不安のためもあった。これからは、もっと礼法の稽古をしなくてはいけない。その後は座り技の訂正点を指摘されて稽古終了となった。

居合を始めて約1年と3ヶ月。やっと少し気持ちに余裕が出るようになり、それぞれの型の意味合いを考えるようにもなった。始めたころは分からないの連続で、一体どうなるのか、と不安と苛立ちばかりだった。合気道も分からない、出来ない、の連続だったが、居合は先生と2人だけなので、剣を扱うということも含めて緊張感が違う。始めて10ヶ月ぐらいの間は稽古中にだいぶ汗をかいたが、気が付くといつの間にか汗も少なくなっていた。居合稽古は終了だが、これからは指摘を受けた座り技の修正と、半立ち技はしっかりと手順を覚えることを中心に、自分なりに稽古をしていくつもりだ。初段という免状に恥じないだけの中身は身につけていたい。

3月26日 312日 教わったことを思い出す

「片手取り両手持ち」と「転換」を教わる。何度か試してみてもできない。前傾する、手に力を入れすぎる、引っ張る、接点を動かす、などなど。『私のやるとおりやらないからできない』と先生。何度目か、膝をゆるめ前傾しない、引っ張らない、力まないでやってみる。ほとんど力抜きで動いただけだったが。『そう、それでいい』と先生。そうだった、といった感触があった。教わったことを思い出したような感じだ。自主稽古の時に試してみたが、力抜きで動けば、技が掛かることが分かった。この力抜きの感触を忘れないようにしたいものだ。また、剣の「柄取り」も試してみたが、先生のように腰まで崩すまでにはならないが、かがみ込ませる程度ならできるようになっている。いろいろな要素が僅かだが身に付いてきていると思う。力まない、力まない!

4月5日 315日 今日は石垣先生

石川先生がお休みなので今日は石垣先生。「下げ手」は“我慢する”ことを教わる。下げるときは受けが崩れるまで我慢する。崩れないからといって途中から加速度をつけたり、力んだりしがちだが。等加速度運動の大切さを、説かれたのだと思う。剣術の「柄取り」は“受けの柄は柔らかく掴む”こと。ぎゅっと掴めば力みもでる。三角形全体を意識する。その他「合気上げ」「転換」、など要点を教わりとても参考になった。また、今日は「臂力」もよく掛かった。どの技もそうだが、「軸を立てる」「気を通す」「柔らかく、力まず」の大切なことがよく分かる。なんだか、ワンランク上になった感じがした。今日だけ、で終わらせたくないが。

4月19日 317日 やはり稽古の積み重ね

久しぶりに「小手返し」。相手を見る、柔らかく動く、が今日は上手くできた。力みもでなかった。「小手返し」も、また、「二教」についても、『受けとの接点だけに気を取られてはダメ』と先生の注意点どおりにすると掛かりが良くなる。接点に気を取られない、は他の技にも通じること。あとは忘れないことだ。忘れないためには、稽古の積み重ね、身体に染みこませるしかない。それも少しぐらいの染み込みではダメだ。染め物だって好い色を出すには何度も染め直す。

来月から月2回、中野道場での稽古開始前の12時から居合の稽古を再開することになった。

5月7日 322日 直線に入る難しさ

「船漕ぎ」−『手だけで押しているだけ。腰、膝を使い手で押さない』。この「船漕ぎ」は基本運動として、合気道の稽古を始めた時から教わり、その後も毎週のように行っている。動作自体は単純な動きだ。それだけに手で押す、引くことだけで終わってしまい、腰・膝・胸の動きをまったく忘れて使っていないことが多い。腕力ではなく、丹田を意識して直線に入る、とも教わっているが、この直線に入るというシンプルな動きが実は凄く難しいこと。本人は直線に入っている、と思っていても曲線になる、あるいは方向がずれている。手だけ(腕力)では、力のある人には押さえられて動けなくなるのは自明の理。テレビで大相撲を見ていたら、「手だけで押しているから、ダメだ(押せない)、負けるんだ!」と解説者が言っていたが、どの運動、スポーツでも同じようだ。楽心館では胆力の養成法の一つとして、この動作を必ず行っている。上達すると「つめる」と「抜く」、崩しの術の基本となるそうだが、他にも出来る人はいない。

5月14日 324日 居合稽古再開

今日から中野道場で合気道稽古前の12時から居合稽古の再開。初めに礼法。ビデオにあった神刀柔進会の礼法を見て練習をしていたのだが、手順はともかく、『礼の仕方に気が入ってない』と指摘される。確かに間違えないように手順だけを追っているだけ。『技術的なことなら誰でもできる。刀剣の扱い、礼の仕方でその人の稽古に対する考え方、刀法と身法に対する理解が分かる』と先生。先生はこうした時、あからさまに不機嫌になる。これからは、礼法も手順から理解の表現へ進まないといけない。

5月17日 325日 叱咤激励

剣術の稽古中に先生から『剣を立てるだけだ傾けない。居合の「横雲」と同じだ』と叱咤激励される。この年齢になって周りの人から叱られたことは無いからムッとする。先生からも『(それが)顔に出ている』。先生から言われたことは、技ではなく基本的な動きなので、難しいことではない。それができなかったのは? 最近稽古中に、ふっと気が緩むような、一瞬ボーっとすることがたまにある。剣術はかなり気を遣うので、合気道稽古終了後の稽古は精神的な疲労感から集中力が途切れることもある。稽古疲れかな。剣術は注意力を分散させず、集中しないと気のゆるみから怪我をすることもある。(バカッ!と、頭を打たれてしまう事もある)

5月24日 326日 頭が突っ込む

「座り技合気上げ」の稽古をしていたら、『Sさん頭が突っ込んでいるよ。反り返るくらいの気持ちで』と先生。合気上げに限らず、頭の突っ込みはかなりの意識を持たないと直らない。2週間ほど前の「臂力」の稽古でも『頭が動く』と言われている。

30年以上も前だから大昔になる。遊びに行った時に撮った写真の中に私が歩いている写真があり、それを見てあれっと思った。膝を伸ばさずに歩いている写真で、なんとも格好悪い。それまでは気にすることもなかったが、同じ頃、膝を曲げたまま歩く姿勢の悪さを指摘した本を読んだこともあり、それ以来、街中で人の歩き方を見るようになった。改めてみると膝を伸ばさず歩く人がかなり多いことを目にする。やはり格好悪い。背筋を立て、膝を伸ばしてスッスッと歩いている人を見ると、その人の生き方も軽やかに感じることがある。それからは膝を伸ばすことを心掛けるようになり、歩き方は良くなったと思うし、今でも道を歩いていて建物などに映るときはチェックをしている。

書いていることが飛んでしまったが、「頭が突っ込む、頭が動く」のを直すのは簡単ではない。“突っ込んでいる。前掲している”意識が無いので、言われるまで気がつかないのだ。道場の鏡を見ながらチェックするのは現実的には難しく、的確に繰り返し指摘していただける師はありがたいこと。あとは軸を立てる意識の継続が必要。

5月28日 327日 気持ちの焦りで手がぶれる

居合は礼法。刀の持ち替え(左から右。右から左)が滑らかにならず『刀が揺れている』。早く終わらせたい(礼法)との気持ちが手の揺れに現れるのか。それと練習不足。両方あるようだ。立ち技はうろ覚えなので、先生の演武を見、思い出しながら手順の確認をする。血振りは重めの刀を使ったこともあり、腰がふらつき、刀が流れて止まらない。

6月4日 328日 接点は意識の中で動かない?

Aさんと二教、上げ手、臂力の稽古をするが、互いに掛からない。『二人とも似ている。接点が動いて壊れている。力頼り。頭の突っ込み』と先生。指摘されたなかで疑問点「接点を動かさないと言っても結果として動きますが?」と質問。『接点が動くといっても意識の中では動かない。接点は不動であり、胸・股関節・膝をゆるめる。膝と爪先は相手に向け入り身に』。また、突っ込みを意識しすぎて『軸を反らしすぎてもダメだ。(それは)逃げているだけ』。

接点を動かさないことは入門時から言われている最重要の一つだが、結果として動くとしても「意識の中では動かない」とはどういうことなのか。接点以外を先に意識して動かし、その結果として動くのは当然のことと解釈していた。乱暴に言えば、接点は忘れる、無視することで接点を先に動かせないようにするのではないか。それを「意識の中で動かない」となると、消極的ではあっても意識が働いてしまい、接点が先に動いてしまうのでは? 理解できず。

6月14日 330日 掴み

「両手取り二教」:小手を掴んだ時の親指の位置・方向(角度)は大事なこと。これまでは親指を手首に直角(受けの手首に対して水平にする)になるように掴んでいた。しかし、この形では何か不足している(掛かりが好くない)気がしていたので、親指の位置を変えてみたりしてみたが、あまり代わり映えしなかった。

今日の石川先生の親指を見ていると直角ではなく、私の正中線に向けているように見えたので、取りの時に意識的に親指を正中線に向けてみた。すると、効いている、掴み方も好いと先生。ただ、好いと言われたことが親指の位置を変えたことなのかは確認していないので、他の人にも試してみなければ分からない。この二教と「両手持ち・片手取り両手持ち」への対応・理解ができるようになると、二段としての有資格ができるとのことだが…。長い道程だ。

6月25日 334日 遠慮と痛みで崩れる

「両手取り二教」と「転換」。少しは進歩があったとも思えたが、『相変わらず強引だ。自分でもそう思うでしょ』と言われる。「稽古相手からそう言われないし、これでも掛かります」と答えたら、『高齢者だから遠慮しているのでは。二教も力で掛けるから痛さで崩れる』。

稽古相手の人が遠慮して掛かっている振りをすることは考えられことで、稽古中に「掛かっているか」と聞くことはある。しかし、「掛かっている」と言われるとそれ以上は確認できない。多くの人が、遠慮して効いている振りをし、痛さだけ崩れているのか、と思うと愕然とした。痛さではなく、術の掛かりで、崩れて欲しいものだ。

7月16日 337日 気落ちする

この3週間ほど気が落ち込んでいた。一つは「二教の痛み」。入門当時から二教は痛みが伴う技と理解していた。稽古でもかなり痛みを感じたもので、手首の痛みを直すのに針灸治療をしたこともあった。今日は二教の稽古だったので「二教は痛みもあるから(技+痛み)崩れるのでは?」と先生に伺う。『初めの頃は未熟で痛みがでてしまったが、本来は痛みではなく、肩、肘へ働きかけで体軸を崩すもの』。石川先生の二教の掛かりは、稽古日誌にも書いたように、痛みが少なくなっているのは私にも分かるが、やはり、ある程度の痛みは伴うことだと考えていたからだ。

となると、痛い私の二教は、“未熟で痛みがでる”のであって、よくいえば成長途上なのだと勝手に解釈し、『痛みだけ』とは、先生からの励まし(まだ向上できる−技の精度が上がれば痛みがなくても掛かるのだ)と考えるようにした。

それと、「高齢者への遠慮」。稽古相手の人から、私の技の方向性が間違っていても「掛かっている」と言われると、いつまで経っても私自身の技の向上に繋がらない。5年も続けているのだ。掛かっていなければ「効いていない」とはっきり言ってもらわないと、と思う。しかし、“遠慮”も“痛みだけ”と同じで、そう思われないように、納得できる実力を付けなさい、との激励と理解することにした。

7月26日 340日 剣の受けが拙い

剣術:剣の打ち込みを受けたとき『受けが拙い。負けて受けている。勝って受けなさい』。負けて受けているとは、剣を引いて受けている、押し込まれている? だから反転して攻撃、攻めに出るのが遅れ一、二の二挙動になり『技が係りにくくなる』のか。あるいは受けた時の姿勢が低く、肘の角度を曲げすぎか? 『負けて受けた剣を跳ね返すのもダメだ』。となると、剣を受けた位置、交点が相手との中間より後方(自分側)にならなければ好いのか?

8月2日 341日 力量の差

剣術:私が正眼から打ち込むと八双の構えの先生が正中線で受け、私の剣を打ち崩す。なぜ、先を取った私の剣が崩されるのか? 『力量の差である』と先生。打ち込みが正確に正中線を捉えていれば、仕掛けたほうが勝つ可能性も生じるが。そうではないから、毎回確実に跳ね返され崩される。「全ての技・型は、正中線を確立し、攻防の正中線の関係を捉えられる身体になるための錬りの稽古だ」、となる。打ち込む側からも一瞬の間に相手の正中線を捉えないといけない。正確に正中線を捉えていれば技の掛かりは間違いなく好くなると思うが、体術でも同じだが、ここが正中線と思っていても、実際はズレいることが多い。いやほとんど外れているのではないか。  初心者、初級者相手ならば大まかな正中線でも技はかかると思うが、中・上級者には無理だ。まして、手に木刀を持ち、一瞬の動きの中で(相手が動き、我も動いている)正中線を捉えるのは至難のこと。仮に手元(柄)で5 mm外れていれば、剣先ではかなりのズレが生じるはず。  基本技「斬り落とし」「受け流し」「柄取り」の中で一番難しいのは、以前は「柄取り」と思っていた。両手で掴んでいる柄を片手で掴んで崩す「柄取り」。合気道も剣術も体験していない時に演武会でこの技を見たら、わざと崩れていると思うだろう。そう感じる面白さがある技であり、好みの技であり、だから先に習得したい技だった。  現実に稽古してみると、より難しさを感じたのもこの技だった。調べてみるとこの技を初めて体験したのは、入門して1年10ヶ月経ってから。先生から掛けられた時、アッと思う間もなく崩され、不思議さを実感したものだ。だが最近は、どの技も難しさは同じだ感じている。『どれか一つできようになれば全部できる』と先生が言われていたが。

8月27日 345日 継続の効果

居合:ほぼ一ヶ月振りの稽古で、立ち技の復習を行う。『いかにも居合を始めたという素人っぽさがなくなってきた』と言われる。昨年9月の演武会当時と比較しても、納刀はギクシャクしなくなってきたと感じるようになっている。稽古を続けた効果が出てきたようだ。今日教わった型は「重木倒し」。身体を倒したまま剣を抜く、斬るといった今までの型にはない動きがあり、見ただけでも難しそう。覚えるのも簡単ではないようだ。それにしても、久しぶりの居合のため、手足の筋肉が痛み、復習をしようとしたのだが、太腿の筋肉が張って中止。  「一教」:正面打ちを受け、入り身に入るとき『受けの両手を崩すのではなく体を崩すことを意識する』と教わる。捻るのは駄目だ。受けた小手は正中線へ、肘は肩方向へ向かう。このときに受けの手を何とかしようどかそう、払おうと意識があると、捻る動きがでるということだろうか。この交差している小手と、肘を肩へ向けるのは、単に方向性だけでなく、接点を通して受けの正中線へ気を通すことが、体を崩す意識に繋がるのではないかと思うが。

8月30日 346日 斬る意識

「小手返し」:今までに教わった型とは違った動き、崩し技を教わる。掴んだ小手を、左・右あるいは右・左に斬る。最初は戸惑ったが、稽古では、“刀法と同じ身法を使う意識”があれば掛かることが確認できた(もちろん斬る意識だけでは崩せないが)。『着眼点が進化すれば、技はドンドン新しく変わるものだ』と先生。従来の「小手返し」では、多くは捻ってしまう。今日教わった「新小手返し」は小手の動きが少なくなり、よりシンプルだ。しかし、シンプルであるのは無駄な動きを省くことでもあり、難度も高くなる。個人的には従来の崩しが、技としては力技でも崩せるので難度は低いと思う。  「新小手返し」といっても、やっている型は同じ。しかし着眼点・意識が違うと、身形(みなり)が異なってくる。だから型は同じでも形が違う。身形(みなり)とは石川先生が世阿弥の風姿花伝から引用し、テキスト「意心形心」の名称にも使われている。

9月3日 347日 丹田の意識

「座り技合気上げ」:先生に両手を掴まれた状態からでは、びくともしない。何度も日誌に書いたことだが、上から手首を押さえられた状態から相手の手を挙げことなど、とてもできるとは思えないこと。『相変わらず、手で上げようとしているから。腰・腹(丹田)を使わなくては駄目だ』と言われ、腰・腹で上げようと試してみたことはあったが、徹底する意識がなかった。改めて、腰・腹で上げる意識で試してみたところ、何度か目に先生から『そう、それで好い』と言われたのは、今までと違って微妙な感触の違いを感じた。  手だけで上げようとすると、押さえている力、ぶつかりが強く感じるが、好いと言われたときは、手だけで上げるほどのぶつかりを感じなかった(先生が力を抜いて手加減しているが)。手だけに比べると腰・腹を使うこと(腕以外の体の応援、助力)で何倍かの力を集中することができ、その分、力のぶつかりが弱く感じるのだろうか。ただ、腰・腹を使うと言っても簡単ではない。腰・腹から上げようと意識しても、手が先に動いてしまい、体の操作・調節が思い通りにならない。今日のこの感触、感覚を忘れないようにしたいが、稽古意識したの積み重ねがないと、コントロールできないようだ。

9月10日 349日 最重要“気を通す”

この2週間ほどの間に「二教」に関する要点をいくつか教えていただいたが、今日教わったことは技術的な技ではない。「持続的な気の通し」。この言葉通り教わったわけではないが、思いもしなかったことだった。なるほどと思い、アッそうなのかと感じた。ただ、家に帰って調べてみると一昨年の日誌の中に記していたから(二教ではなく他の技)、何のことはない、私が忘れていたことであり、その時は認識が軽かったこになる。  石川先生からは入門以来多くのことを教わったが(残念ながら忘れて記憶できなかったことが多い)、2年前は重要性が分からず、理解も不十分だから、それ以上の広がりがなく、その技の範囲内での理解で(それも不十分な)終わっていた。理解できる能力・中身がなく、その段階に達していないので分からなかったことになる。今日教わったことは、今までにない刺激があった。

9月13日 350日 “持続的な気”の効果

「二教」:教わったことを何人かの人に試してみた(技としていくつかの要点も訂正してのこと)。今までと比べてもやはり効果があるようで、力みも抑制されていたと思う。そのなかで、とくにM君。彼は身体が柔らかいためか、今までは力技でしか効果がなかったので、試してみたかった一人だが、掛かっていると言われたのが印象的であった。一歩進んだ感じだ。

9月17日 351日 正中線のズレ

「柄取り」:『相手が正面から正確に打ち込んでいないと、技は掛からない』。そして正中線のズレを指摘された。正中線の外れは先月も触れたが、5センチや10センチではない、正中線と思っているのがなんと20センチも外れているのだ。これでは技の掛かりようがない。また「柄取り」に関しては『これ以上教えることはない』と言われた。つまり、技としては教えることは、教えてある。言うべき事は全て言った、後は自分で研究しないと上達は無理と言うことだ。教わったことを、教わった通りに行うしかない。

9月20日 352日 剣先三寸 

剣術:本日から2名入門、賑やかになってきた。今日の稽古の最後に「柄取り」が行われたが、この「柄取り」が(斬り込み、受け流しも含め)なぜできないのか、その原因をここ1週間ほど稽古を思い出しながら考えてみた。できないのは、(1)剣を受けた時の姿勢と(2)剣(木刀)の受けの(交点)位置ではないか。

まず、(1)姿勢。打ち込んでくる剣に体を低くして受けているようだ。負けている姿勢。ようだ、とは自分では低く受けている意識がないから。鏡を見ながら剣を受けた姿勢、構えを見ると低く受けてはいないと思う。それが組稽古となると…変わってしまう! 上からの剣→受ける=受けは下から。そんなイメージが体に染み込んでいて低く受けてしまうのか? 

(2)木刀の受けた位置。打ち込んできた剣は『剣先三寸で受ける』と教わったことだが、長い間漫然と直しもせず剣の中辺で受けていた。実際、木刀を見ればどの辺りで受けているか一目瞭然だ。私の木刀は中心部辺りが少し細くなっている。これは相手の木刀と当たった箇所にできた裂け目、割れ目を危ないので時々ナイフで削るため。なぜ剣先三寸でなく五分(真ん中)で受けているのか。おそらく打ち込んでくる剣に対して、三寸辺りでは受けが外れるのではないか、との意識(不安感)が働き、五分(真ん中)で受けてしまうと推測できる。

こうして理由を書いてみると性格的なことも影響しているかな、とも考えられるが、剣先三寸(物打ち)での受けが「斬り込み」などの技に効果があることは、何人かの人との稽古で確かめている(たまたま物打ちで受けた時の諸条件が好かったことも考えられるが)。直せば良いことは明白だ。なのに(1)の姿勢も含めて訂正ができない。

9月24日 353日 二教の課題

「二教」のうち、掌を朝顔の手にしての型(片手取りから外回しで受けの小手に掛ける)と親指を掛けた型(同じく親指を掛ける)はかなり好くなっており、とくに右手はほぼ合格と言われるようになった。あとは、両手取りの型(入り身と、引きの2種類。両手取りされた状態から受けを後方と前方へ崩す技−「引き」が正確な言葉であるかは不明)の精度を上げることと、片手交差取りからの型が今ひとつ掛かりが悪いのが今後の課題。注意点としては『極め付けようとの意識が強い。もっと柔らかく』と言われる。確かに極め付けよう、抑え付けようとする気持ちがでてしまう。それが力みなってしまう。この極め付け意識は、二教ばかりではなく全般的な課題でもある。

9月27日 354日 フルコース悪い

自主稽古の時にMさんと「斬り込み」「柄取り」を行う。剣先三寸での受けは効果を確認し、受けたときの姿勢の悪さを話していたら、『姿勢だけでなく、よくない要素が全部入っている』と先生から言われる。その表現を『フルコース悪い』。良くないことは分かっているのだが、全て悪いとは!稽古終了後にその話になり、『言われるだけまだ好い。言われない人もいるのだから』と先生。確かに。しかし、剣術の新入門者と2年近くやっている私があまり差のない程度では情けない。

10月1日 355日 二教が進歩

最近急激に「二教」が良くなっている、と先生からも言われようになった。自主稽古の時に何人かの学生に試みたところ、片手取り・交差取りが痛みを感じず掛かっていると言われている。「痛みをあまり感じない」と言われるのは、自分の技が崩しの術になりつつあるという進歩の証。力での押さえ込みも少なくなり、二教に関しては自分でも上達していると思う。しかしこのことを書いても、外部の方々にはまったく理解できないだろう。ここで言っている二教とは、縦軸方向へ、スットーンと腰と膝を抜かすように掛ける崩しの術を例えてのこと。

居合:立ち技最後の「情刀」を教わり、手順・型はすべて教わったことになる。立ち技は手順と名称がまだ一致しないが、徐々に覚えれば好い。後半は木刀での組み稽古となった。「抜打ち」に「横雲」で対する稽古。しかし、動きを呑み込めず、型通りの動きしかできない。組稽古では居合の型通りに動くのでは駄目で、人と人が対するのだから、動きの早さや間合いの変化に対応して、その場面でやるべきことを行うことが必要になる。先生から再三指摘を受ける。何度もやり直さないと動けない。

10月4日 356日 四方投げ

以前、稽古日誌に「座り技・横面打ち四方投げ」について、受けの小手を掴んで上に挙げる崩しができない、と書いた。横面打ちの小手を掴み体ごと挙げて崩し四方投げに入るが、受けの体を挙げるのを力だけで、技としては効いていなかった。今日教わったのは、今までは手首を四教で掴み、肘を押し上げるようにしていたのだが、手前に引き寄せると受けの体が持ち上がることが分かった。

10月11日 358日 教わったことを確実に

剣術:初めに先週から始まった居合の納刀を稽古する。これからは居合の稽古も取り入れるようだ。次に初動を消す稽古。木刀よりも体が先に動く人の剣を交わすのは、誰でも難しくない。私も体の動きが先になることを指摘されているが、速度で補える(当てる)と思って剣を振っていた。それが、最近はビュンビュン振ることは少なくなり、当たらなくても等加速度で振るようにしている。少なくなっているだけで、初めは好いのだが、当たらないと当てたいとの気持ちが起こり、ビュンと振る。これが直らない!当てたい気が抑えられない。先生からは、『当てるのが目標ではない』と言われているのに。

「柄取り」。欠点を指摘し合いながら稽古をする。気を通す、力まない、加速をしない(その他必要な要素は含む)。その意識が継続した状態では互いに掛かった。教わったことを確実に実践すれば技は掛かるということだ。技が掛からないのは、何かが(一つかもしれないが)、抜けている、あるいは精度が悪い。初心者に掛かるのは、技に慣れがなく、動きに対応できないからにすぎない。

10月15日 359日 二方向への気

「二教・片手交差取り」はまだ不十分と言われていたが、今日の稽古で先生からポイントを教わり、何度か試みるうちに分かってきた。正中線への気の通しと同時に、肘・肩を崩す気を持つこと。同時に二方向への気の通しが、技の働きを好くするようだ。

力の強いAさんに二教を試してみたが、手首が外れてしまい掛からない。『力の強い人に力で対抗してもダメ。もっと柔らかく掛ける』と言われた。力の強い人との稽古では、相手に合わせるように力が入ってしまう。いろいろなタイプの人いる。まだまだ。

10月22日 361日 組稽古の面白さ

居合:仕太刀が「抜打ち」で斬りかかり、打太刀が「横雲」で受ける。先々週も行った居合の組稽古だが、一人稽古で相手をイメージして動いた時と、組稽古ではまるで違う。間の取り方が難しく、自分勝手に動いても意味がない。まだ緊張で体が動かないし、手順も忘れる。横雲、火龍、受け流し、霞、月影の5本の型を交互に行ったが、私のミスが多く先生との動きがかみ合わなかった。

それでも組稽古は楽しめる。木刀で打ち合う行為は子供の頃のチャンバラを思い出す。型の意味も組稽古によって確認できる。ただ、先生に対抗して早く抜刀しよう、なんて思わなければ良いのだが、そこが私の若さゆえ(?)か、やはり早く抜きたい気がでて、柄の取り方がずれる、力むなど動きが悪くなる。まあ、無理とは(できないことは)分かっていても、多少はその気持ちが無いと進歩はしないし、ありすぎても好くないし。

二教は『肩の使い方が分かってきたようだ』と先生。先週に教わった肘・肩を意識した稽古していることを指してのことだと思う。強引な力技と、突っ込み (軸の前傾斜)も減っているので、あとは、足・腰の柔らかさだ。足・腰・丹田を使うことができるようになると、技も、クラスもワンランク上になれるのではないか。

11月5日 362日 丹田力の養成

石川先生に「二教」を掛けられる前に何かを感じる、それが何なのか、なぜだか分からなかったが、やはり「気」であり、養成された足・腰・丹田から気が、相手(私に)に感じさせるのではないかと思う。この丹田力の強さが技の威力となって現れているのでは。では、どうすれば気の養成ができるのか。

テキスト「意心形心」には気の養成について、(1)呼吸法(2)想念(3)身体鍛錬から、と記されているが、気の養成は2年3年で養われることではない。気が養成されたとしても相手に力として感じさせる「気を外に伝達させる−意心形心」ことが必要だ。やはり、 10年15年の日々の鍛錬とかなりの集中力が必要だ。私が入門している合気道・楽心館は「気と丹田の合気道会」だ。気を養成する基本的な身体作りの稽古は行われているが、目や動きで成果を(少し養成されたとしても)確認することはできない。養氣錬丹は、凡人には難しすぎるが凡人だから、ただ続けるだけ。その積み重ねで少しでも気の養成ができるようになれば…

11月8日 363日 先生の指導時に…

稽古に参加している皆さんは、先生の指導を受けるときに、力むことはないのだろうか。言葉で表現すると難しいが、いつも力んでしまう訳でもなく、技で言えば「転換」などが力みがちになることがある。今日もそうだった。参加者同士でも時には意識過剰から力技、力みになるこもあるが、その感触とは少し違う。皆さんは?

11月12日 364日 先生がお休みなので…

中野では先生が都合でお休み。参加者は学生も含めて8人。稽古の中身は任せられているので、基本の修錬法とあとは「二教」。柔らかく、痛みの少ないことを目標に稽古。参加者の皆さん楽しめただろうか。

11月15日 居合・大東流講習会

長尾先生の講習会に参加する。参加者は15 人ほど、講習会で出会うお馴染みの人が多い。居合は座り技から半立ち技まで。座り技は「横雲」を始めとして不明点などを確認できた。

講習会の合間、参加者していた3人に「二教」を試みて感想を聞いてみた。技は掛かっていること、右手は手首までだが左手は肩まで効いているとのことだった。普段会うことがない人に試みができ、感想もはっきり言ってもらえて好かった。右手の効きが悪いのは、利き手であるため力みが原因か、と今は思うが。

11月19日 365日 気だけは崩せない

力の強いTさんと「二教」を試みるが手首程度だけで難しい。「片手取り両手持ち」も試してみたが、びくともしない。先生『(私ことSが)力みが強いし手首を動かしている から、掛からない』と言って、彼に両手で右手を掴ませ技を掛けると、彼の左肩が落ちるように下がり体勢が崩れた。私も両手でしっかりと掴んでみたが、やはり肩から崩される。何が違うのか? 見ていても先生の手は動かない。そして、『気だけでは崩せない。相手の軸を崩す』と言われる。(相手の正中線や半身へ気を通していても駄目で、具体的に相手の体軸を崩す意図をもって、自分の身体を使うことが伴わなければならない。即ちテキストにある意心形心の一致、という意味であると思われる)

年内に昇段審査を受けることになった。先生からは『二段への昇段審査は6級と5級の技の中から6種類自分で選び、崩しの術への理解を入れて表演するように』。二教だけと思っていたのだが、中級向けテキスト「真理平凡」には、【両手取り・片手取り両手持ちへの対応、二教の理解をもって二段とする】と記されている。「両手取り・片手取り両手持ち」は最近稽古をしていないので次回から稽古をしないといけない。技の選択はこれから考えてみるつもりだが、審査まであと一月ほどだ。昇段審査を意識した稽古をするつもり。

11月22日 366日 剣の打ち返し

剣術:正眼から打ち込まれた剣を八双の構えから斬り落す。この技は、相変わらず相手の剣を打ち返してしまう。先々月の「柄取り」同様にできない理由を考えてみた。(1)受けが遅い(問題外で斬られてしまう)。(2)受けだけで止まってしまう(途中で止めては勝てない)。(3)半身になっていない(今日指摘されたこと)。(4)横振りなので落せない(5)胸を 上体張って力みになっている(これも今日指摘された)。(6)受けたとき接点を見てしまう。(7)剣を打ち返してしまう。以上が掛からない、できない原因として考えられるが。

この中で(1)から(6)までは意識的に行えば訂正できるが、(7)剣の打ち返し−柔らかく受ける、が分からない。打ち返してはいけない、とは普段から教えられていることで、石川先生に打ち込みをして感じることは柔らかく決して反発するような、打ち返しがない。手ではなく木刀を通じても柔らかさを感じる。剣を引いているのでは、とも思わせるが引いてはいない(これは先生を横から見ていると分かる)。なぜ柔らかな受けられるのか。合気道の稽古などで、『相手の力をもらう』と言われているが、では、どうすればもらうことができるのか? となる。

11月26日 367日  強引さが減ってきた

「呼吸投げ」を稽古中、相手の学生に『以前、Sさんは強引な人だった、それがだいぶ減ってきた』と先生。そうです、自分でも自覚するようになってきた。まだ足りないけれど。「二教」は親指(も含めた指)の使い方を教わる。相手の小手に手を掛けたときの指の使い方が曖昧だった。一つ一つ分からなかったことを身に付ける。

11月29日 368日 繋がりとは?

 「二教」:『掴まれた小手を外すときに、相手との繋がりを大事にする』、として注意点を教わる。繋がりとは接触感と言った意味合いだろうか。教わった通りに動いてみるとその効果が分かる。相手の崩れ方が違うのだ。繋がりが切れることで、気が途切れ、技の効果が無くなる、あるいは少なくなるようだ。ただ、繋がり意識を強くすると小手に余分な力が入り、『押さえ込むのが強すぎる』と指摘されることになる。未熟であるが故に、繋がり意識が力に変化してしまうようだ。

今日は新しい技を教わる。きっかけは、「後ろ手首取り」から相手を崩したあとの連続技。テキストに書かれている以外の技について先生に伺ったところ次のような技を教わった。右手を拳にして(手首取りを外された後の状態)押されても動かないように固める。先生は左手で手首を掴み右手は拳を包む。一瞬、ガクッと真下に倒された。もちろん強引な力技ではない。私は力を込めしっかりと拳を作っていたのだが。

参加者が3人だけなので交互に試してみたが、がっしりと握られた拳を、力で手首を曲げようとしてもできるものではなく、できたとしても手首がやや曲がる程度。よほど体力、腕力の差がないと崩せないし、体ごと崩すのは無理だ。力での崩しができないことは体験して分かった。

では、石川先生はなぜ崩せるのか? 柔らかな動きでなぜ肩から崩されるの分からないが、これが合気道を習っている面白さであり、不思議さでもある。私は「手解き」とか「上げ手」に関連する技が好きだが、この技を体験してとても興味が涌き、心が惹かれた。同時に何とか会得したいとも思った。

12月3日 369日 固めた拳崩し(1)

 文京で教わった「固めた拳の崩し技−技の名前が分からないので」。なぜ柔らかく崩されるのか、我々がなぜできないのか、ここ数日、この技のことが頭の中から離れなかった。何かが足りない、出来ていないことがある。そんな思いで「固めた拳崩し」を中野で早速試してみる。受けは学生のY君。まるで崩れない。文京道場と同じように、力で捻る、押しこんでいるので、当然と言えば当然か。石川先生の指導稽古終了後、再度Y君に試みる。7〜8回目だったか、なぜかは分からなかったが一度だけ彼が少し崩れかかった。が、その後は駄目だった。

しかし、一度だけでも崩れかかったのは確かだから、何か、どこかを直せば良いということだ。中野道場は2時半に終わる指導稽古終了後、5時まで道場が使用できるので時間はたっぷりある。私はしつこいのだ。そこでY君とはしばらく間を置き、他の人達と呼吸投げ・二教などの稽古を行い、再三になるがY君に試みる(Y君はいやだったかもしれないが)。前回、前々回と同じでは意味がないので、それまでの力で押さえ込んでいたのを止め、とにかく柔らかさを意識して試した。

何回目であったか、力任せに捻るようにしても崩れなかったY君が前に傾いたのだ。好し! そうかと思い(柔らかくと言っても最初の数回は力みが残っていたようだ)、同じことを意識して試みる。今度は続けてできた。さっそく他の人達にも試してみると、それまでとは違って崩れる。私が先生から掛けられた時の崩されかたとは違うかもしれないが、とにかく一歩前に進んだのではないか。

先日この技を教わったときは「二教」と似た崩しかなと感じていたが、相手の小手を掴んでの崩しだから「小手返し」近いのではないかとも思える。が、真下に崩すと教わったので、崩しが違うようでもある。とにかくまだ覚えたて。いろいろな人に試してみないと。

12月6日 370日 猪口で飲む

「片手取り・両手持ち」:掴まれた片手を転換から崩すとき、先生から強引な動きだと言われ、こんな崩し方が伝わっていると教わる。掴まれた小手を『猪口を口元に持っていくように小手を上げる』。これは文字通り『お猪口で酒を飲む時の手の動きをそのまま再現する』とのこと。基本の軸を立てる等は踏まえての話だ。早速試してみる。猪口で酒を飲むとの言葉からイメージが直ぐに浮かんで覚えやすい動きだ。もっとも日本酒を飲んだことのない人は無理か。

12月10日 371日 審査日

 今日は弐段の審査日。受けはS君に依頼する。課題は「両手取り・片手取り両手持ちへの対応と二教の理解」。この課題の中から六本の技を自分で選んで審査を受けることになっている。当初は、片手取り両手持ちからの四方投げや小手返しを入れる気もあったのだが、この数ヶ月取り組んできた二教を(好きな技でもあり、気持ちも乗っているので)中心にした組み合わせにした。

私が選んだのは、(1)座り技両手取り・二教(2)両手取り→二教・前方への崩しと後方への崩し、(3)両手取り→手解き(外)→片手取り二教、(4)片手交差取り二教、(5)片手取り両手持ち→転換→入り身二教、(6)片手取り両手持ち→転換→交差取り二教。((1)以外は立ち技)

審査内容の出来については、ほぼ練習通りにできたのではないか。今まで受けた審査の中では一番納得できる内容だと思う。先生からは、良くやりましたと言われ、その後、『8割方の人はここまでなることができない。今後も精進するように』とのコメント。物忘れがひどく、不肖な弟子の私には励みになった。

「二教」に関しては、以前と比べると確実に中身が濃くなり、理解力も深まったと思うが、何よりも自信がついてきたのが大きい。これからは教わったことを確実に実践することだ。「両手取り・片手取り両手持ち」は甘いこともあるが(特に片手取り両手持ち・臂力はまだまだ甘いのでもっと磨きをかけないといけない)、まずまずと言ったところか。

昨年の初段審査当時と比べると確実に進化し、実感できるようになったのも、稽古時間の増加が支えになったのではないか。昨年の秋口に入門してきたSさんがとても稽古熱心で、石川先生の指導稽古終了後も遅くまで稽古するようになり、最近は5時近くまで道場に残っている。忘れかけている9級から始まる基本技の復習、上手くできない技は繰り返しの練習を続けることで、いつの間にか約4時間の稽古が続けられるようになり、数年間で培った身体にこの1年の稽古量の増加がプラスされて、技術的な向上の基礎(合気道ができる身体)になっていると思う。来週からは帯を変えて締めることに抵抗なくできる。

12月13日 372日 四教の掴み

 「四教」の掴みを教わる。まず、掴みの位置が難しく、掴んだ位置を直される。それと掴み方。柔らかく掴むことが必要と言われ、実際に柔らかく掴んでみると相手の手首が抜けそうで、ギュッと掴むと、べた掴み(掌全部で掴む)になってしまい、それでは技としての効果が無くなる。あとは「返し手」。片手取りしている受けの手首を掌側から掴み『血振りするように取る (振る)』。血振りは居合で教わっているので分かるが、掴みの位置を覚えるには習い覚えるしかない。

12月17日 373日 初動を消すのは?

 いかにして動きの初動を消すか。今日はその説明を受けた。『スタートを消すこと。「ため」を作らない。武道用語なら「居着き」をなくす』と先生。私もよく注意されることで、合気、剣術、すべてにおいて「ため」を作っていると指摘をされている。では「ため」とは何か。辞書では「ため」は「溜め−溜めるから」と書いてあるので、文字通り留まる、溜めておくとなり、動きの中で一瞬の“間”を作ってしまうことか。その“間”がわずかな体の硬直化となり、気の流れを途切れさすのだろうか。しかし、力みを取るのは当然として、脱力してその瞬間に入り身。これだけでは初動を消したことにはならないようだ。

12月20日 374日 固めた拳崩し(2)

3週間ほど前に教わった「固めた拳崩し」。その後、何人かの人達に試してきたが、今日はM君に試してみる。M君は初めに崩しを教わったときのメンバーだ。その時は強引に捻り倒そうとしただけだから、前回とは違うと思うが……結果はほどほどに崩れた。彼の感想は『前よりも 私の崩し方が進化している』。先生の崩しと較べると、その柔らかさにはとても及ばないが、崩しの技法は間違ってはいないようだ。教わった技を自分で考えて何とかできるようになった。これが嬉しいところだ。

12月24日 375日 今年は合気道が実感できた

 居合:立ち技「乱花」から始まる多くの修正点、手順の訂正などの指摘を受ける。また「横雲」をゆっくりと演じていたら『もっとパッパッとした動きをしたいのだろうが、今のようにゆっくりした速度での練習が必要』。そうなのだ、先生から指摘されたように、ゆっくりとした動きを続けていても、自然と早い動きになってしまう。と言っても、早すぎると指摘されて気がついたことだが。

思い出すのは、居合で初めに教わる納刀だ。納刀はゆっくりと行う、と言われてきたが、『早すぎる。もっとゆっくりと』と何十回と注意を受けてきた。当初は先生と比べると3倍か4倍ほど早かったのではないか。何とか見習ってゆっくりした動きをするのだが、堪え性が無くなっているのか我慢できなくなってくる。納刀をしながら、まだまだと逸る気を押さえるのに苦労をした。最近は以前と比べるとかなり時間を掛けるようになったが、ゆっくりとした動きを続けるのは自制心が必要だ。来年の目標の一つにしよう。

先日説明を受けた、初動を消すのは「ため」を作らないこと。この点について先生に伺ったところ、「ため」を作らない、とは簡単に言えば、『技を掛けようとしたときには掛け終わっている』、と言った趣旨の説明であったが、相手の隙をつく、とは違うし、このことに関してはまだ理解できないので、来年への課題だ。また、等速度については相手なり 上手い人にはそれなりの等速度でということだろと言うことのようだ。先生は『そう言うこと(等速度などに関する)を気が付く、あるいは疑問に感じることが大事なこと』と言われていたが。

 今年は昇段審査日に記したように、合気は、力抜きの柔らかな動きで相手を崩すことができることが実感できるようになったことがとても大きく、柔らかさの重要性が、少しは身に付いてきたのではないかと思える。来年は、少しから中ぐらい、に向かって半歩、一歩と前に進んでいきたいものだ。

2009年