東京合気道シニア稽古日誌 2005

最終更新日 2009年12月15日

2005年

1月×日  47日目

今年始めての稽古は、ほとんど木刀を持っての稽古。そして正月なので「柏手の小手返し」を習う。神社を参拝するときの柏手(かしわで)と、掛け言葉。柏手にした両手首を相手に掴ませ、そのまま相手に向かって入る。手を押し出すとき両肘を開いてしまうので、力技になってしまう。次回からその点を修正。

1月×日  48日目

中野体育館の初稽古。木刀を上段に構え、片足を上げ、そのままゆっくり振り下ろす稽古がある。これは私にとっては苦手である。もともと足の筋力が弱く、50代の後半では、平衡感覚も落ちて、片足立ちは数秒しか立っていられなかった。数年前から始めた太極拳で足に筋力が付いたが、それでも、片足だとふらついてしまう。この稽古は自宅でも始める必要がある。

1月×日  49日目

1月×日  50日目

「片手取り 体の変更・転換」という基本動作がある。この技は先ず手解き外廻しを収得すると、理解しやすいようである。組稽古では、経験の浅い人にはある程度できるが、石川先生に掴まれるとまるで手解きができない。「手解き」はできなかったが、一教で相手を後ろ向きにさせるとき、肩を押すのではなく、「手刀で直線に切るようにすると、崩れる」ことが始めてできた。強引な力がいらないのである。先生が普段から言っている直線に切る、ということが実感できた。

何回か前に、「交差した両手を手刀で崩す」技を教わった。手刀で振り下ろすと、アットいう間に崩される。「相手の胸を斬るつもり」とのことだが、こういう技は好きであるから、早く身につけたい。

1月×日  51日目

自主練習で「下げ手」の稽古をしたが、まったく掛からない。Iさんからは、「技をかけようとする意識が出すぎではないか」と言われる。昨年の12月頃から掛からなくなっていて、相手の人に「下げ手」ができるところを見せようと思っていたのでショックだった。なぜ掛からなくなったのか、やはり意識の出すぎ−「力み」だろうか。同じようにしているつもりなのだが。 

1月×日  52日目

石川先生曰く、『正中線、半身、もう一つ大事なのは、一呼吸である』。一呼吸とは、木刀を振るときによく言われることで、一・二ではなく一挙に振る、体の捌きであれば一つの動きにすること。

2月×日  53日目

朝から風邪のため体調が悪く、電車に乗ったがだるさがひどくなり、顔だけ出して帰るつもりだったが、稽古をしてしまった。結局この日の稽古がたたって5日間寝込んでしまった。自業自得。

その寝込んでいた間「交差した両手を手刀で崩す技」について考えてみた。文京道場でもMさんと肘の角度違いではないか、などと何度も試してみたが、掛からない。そこで手首の先の集中力ではないかと思い、意識を指先に集中し、身内の者に受けを頼んで試してみたところ、掛かったように思えた。もちろんこれだけでは分からないが、次回の稽古で試してみたい。これは「下げ手」にも応用できるような気もするのだが。

2月×日  54日目

さてこの日、「交差した両手を手刀で崩す技」を手首の集中力ではないかと、石川先生に聞いてみたが、違うと言われる。Iさんに試してみたが、やはり、掛からなかった。石川先生は『腰、膝の使い方だ』とのこと。所詮、寝込んで考えた程度で、できる理由がなかった。先生との稽古で「下げ手」が上手くなったと言われるが、掛かるとき、掛からないないときがあるのは「力み」が出てしまうせいだと最近は思う

2月×日  55日目

「正面打ち・一教」で手刀を受け、相手の肘を掴み後ろ向きに返すとき、稽古では腕だけで、体を廻すことができない。組んだ相手から「返しが出来ないのが不満で、そこで稽古を辞めてしまうが、最後の決めまで(手首の押さえ)やって欲しい。」言われた。だが、技が決まるまで何度でも繰り返すことが大事で、演武ではないのだから、型の流れだけやっても意味がないように思うのだが、どうなんだろう。

3月×日  59日目

仕事に関連したことで問題が起き、稽古に身が入らない。石川先生から再三、励ましの電話あり。感謝。

3月×日  60日目

経験年数とか、何級である、とかの差は合気道に於いても関係ないように思えるのだが。経験年数が多く、上級であれば、技の数も多く覚え、技術もあるだろうが、囲碁や将棋でも昇段すればあとは実力が落ちても下がらない。このことは始めて文京道場に来たとき、石川先生に、皆さんどのくらい経験年数があるのか、と質問したとき,『年数は関係ありません』といわれたことを思い出す。下手な者同士がダラダラと稽古しても上達はしないし、悪い癖が付いてしまうこともある。稽古は『質』が大事なのであって、芸事は優れた人から教わらないとダメだ、ということを実感する。

3月×日  61日目

技はシンプルで単純に見えるほど難しく、動き回る派手な技は見た目は一見大変そうだが、そうでもないような気がする。

3月×日  62日目

花粉症がひどくなって、迷ったが参加する。「合気上げ」も力の強い学生に押さえられるとなかなか上がらないことがわかる。 

3月×日  64日目

「下げ手」は手首の力を抜くこと、姿勢が大事であることを教わる。腕全体を力ませたり、張ったりすることの誤りを指摘された。手に力を入れない状態は確かに効果があり、手首の先に力を入れて下げるのは間違っていた。

今月で丸一年となった。中野体育館道場には一年間休まずに稽古に通った。果たしてどれほど自分自身に影響があるのか?。

4月×日  65日目

いよいよ2年目の始まりである。2月末頃から週3〜4回、自宅で剣の素振りをすようになった。上段の構えは無理なので、ただ腕を伸ばして振るだけ。秋頃までには効果が出るようになりたい。

4月×日  66日目

「合気上げ」は先生に押さえられると、まるでできない。『肩が下がる。姿勢が崩れる』と言われる。『体軸に気を通す。丹田を柔らかく』とも。とても難しい。

4月×日  69日目

石川先生曰く『四つの線(先)が大事で、(1)正中線(2)半身の直線(3)脱力した瞬間の直線運動(4)三つの先(間を正確に取れること)』。こうした四つの線(先)は『膝、腰、丹田の柔らかさがあって、始めて実現する可能性がある』。

5月×日  71日目

先生曰く『△○□の△が大切。体は単に半身にするのではなく相手の正中線に意識的に身を入れる。膝は常に柔らかく』。

5月×日  72日目

今日は9級の審査を受ける。まだ円滑にはいかないが、バタバタ床を蹴らないことを意識した。このあたりは9級の審査の時とは違ってきている。先生からは『よく覚えました』。9級の審査の時よりも、動きは良くなっていると思う。

5月×日  73日目

組み手では、参加人数が奇数なら当然一人余る。私は余りがちな方である。先生からは『自分から積極的に頼みに行くように』と言われているが、周りが40歳以上も年の違う学生達のなかでは、どうしても年齢を意識してしまい、消極的になる。基本的には性格の問題だろうが、年が邪魔をする、と言うか、雰囲気的なこともある。学生達が個別に参加してるわけではないので、よけいそう感じるのかも知れない。

5月×日  74日目

一通りの基本の稽古。膝行なども上手くなったと誉められる。「両手を交差し、上から崩す技」は新加入の人には技が掛かった。先生曰く『腕の力を脱力し、相手の中心に入る(斬る)気持ちで単に腕を下げる』。その後、二教の掴み手を教わる。

5月×日  75日目

『一年経って変わったことは?』と先生から質問あり、精神的に余裕ができるようになった答えた。

稽古は呼吸力。呼吸力の技は、力を入れないのになぜ相手が崩れるのか。先生曰く『力学の問題』。私には理解できないが、とても不思議であるし、だから面白い。「交差した両手を手刀で崩す技」も最近は少しできるようになってきた。力を抜くことを多少覚えてきたためか。

6月×日  76日目

先週、一年経って変わったことは、気持ちの余裕ができた、と先生に話したが、その後、この一年を振り返ってみた。一番変わったことは、「水曜日が楽しくなった自分の気持ち」。合気道を始める前は、武道がを習うのが楽しいとか、面白い、という発想はなく、「健康のためとか、護身術を身につけるために、辛くても頑張る」と言った慣習的あるいは精神修行的なイメージがあった。それが、稽古を始めて半年も経たないうちに、面白くなってきた。では何が面白いのか。それは「上げ手」「下げ手」など呼吸力に関する技である。とにかく不思議だ。NHKのテレビ番組「地球・ふしぎ大自然」のフレーズに『不思議を紐解くと感動がある』というのがある。私には「合気の手の理論」などを紐解くことはまだできないが、それでも不思議を体験し、その不思議を、少しずつではあるけど、自分ができるようになってきた。だから、楽しいし、面白い。これからも、この不思議な面白さ『楽心館の合気道』を長く続けられると好いのだが。


再開します 2005年5月20日追加

稽古日誌が前回から1年以上も間があきましたが、稽古は続けていたので再開します。現在65歳です。


6月11日 79日

自主練習でKさんら3人と「手解き・上(掴まれた手首を上に挙げて外す)」と「下げ手」の稽古。「手解き・上」ではKさんに強く手首を持たれたのを、強引に挙げたので手首を痛める。力比べのようになってしまった。三角の作り方や身体の使い方を、より緻密に行う必要を感じた。

6月14日 講習会

石川先生から、文京区立K小学校の保護者が対象の講習会に誘われ参加する。楽心館に入門していた女性からの依頼だそうで、小学校の体育館に30人程の母親が参集し、基本動作と護身術等を1時間ほど練習。これがきっかけで合気道に興味を持って入門する人があるとよいのだが。

6月15日 80日

剣術−「三角の鉦の大事」についての説明と鍛錬動作。お互いの剣の接点(交点)と、相手の正中線と、自分の正中線。ここを結ぶ直線で形成される三角形。この三角形の形の変化により、斬り落とし・受け流し・柄捕りなど様々な技が成り立つという。そしてそれは剣術と体術、本質は全て同じというが、今の私には分からない。先生が刀の接点を合わせ、正眼に構えている私の正中線に合わせると、力を感じないで後退してしまう。

合気道の基本姿勢は『軸を立てる・氣を通す・浮き身』。二教(相手の手首を掴み肘、肩を制し崩す技)は『相手の手首を掴むとき両手の力は偏らないで持ち、正中線に向け人差し指で斬るつもりで下げる』。この技も柔術のように‘ねじらない’こと、と教えられるが、手首をぐいぐいと、雑巾絞りのようにねじってしまうし、正中線に向けて斬っているつもりでも、実際は押してしまう。もっと研究しなさいと言われる。剣もそうだが大事な正中線への意識を稽古中は忘れているし、基本的なことができていない。気付くのが稽古が終わってからでは遅いのだ。常にその意識を持つことが大事と何度も思うのだが、なかなか身に付かない。

6月18日 81日

掴まれた手をそのまま上げるのが「手解き・上」で、相手の両脇に繋がってから上げるのが「上げ手−合気上げ」。この場合、手の形を武田惣角先生伝来のものに。一般に「朝顔の手」と言われるようだが、石川先生は「わんこの手」と言う。

今までは混同していた。どちらも難しいが、より難しいのが「合気上げ」。

6月22日 82日

「手解き」・「上げ手」の稽古。「手解き」はなんとか挙がるようになってきたと思う。しかし「合気上げ」は姿勢を正し、腕の力も抜き、指先を相手の両脇に向けているのだが、まるでできない。どこが違うのか、なにが足りないのか、間違っているのか分からない。

今日は石川先生にすごい技を見せてもらった。互いに座り、私が両手を掌を前に向ける。先生は両手を拳にして合わせる。ジャンケンのグーとパー合わせた形。私が力を入れ押した瞬間、1メートルほど後ろに弾き飛ばされてしまった。グーとパーを反対にしても同じであった。先生はこれを『波』と言ったが、そんな柔らかな感じではない。一言で言えば『雷』か。電気ショックを受けたように後ろへ飛ばされる。昔、ケニヤのサファリで、宿泊地の周りを囲んだ高圧線に触れてしまい、気がついたら数メートル飛ばされていたことがあったが、その時と同じような衝撃を受けた。石川先生は手加減をしているはずだから、もっと気を入れたらどれほど飛ばされるか。四〜五年前まではできなかったそうだが、驚くばかり。

6月25日 84日

「上げ手」・「手解き」の稽古中、相手の人が、石川先生の身体の使い方が5〜6年前とはまるで違ってしまい、いま教わっている技を自分はできないので面白くないと言っていた。以前の稽古は分からないが、稽古の質的転換のことは楽心館のテキスト「意心形心」にも記されていることであり、石川先生も、『これからも技の進化・発展がある』と言われているのだから、我々門下生は稽古をして習得するしかないのではと思う。 

7月2日 85日

石川先生に、『Aさんに「正面打ち一教・転換」を教えてください』と言われ、どんな技だったか思い出せなかった。物忘れ、言葉忘れ、記憶力がドンドン減少している。ショックであった。

剣術−木刀を横に構えた相手に上段から振り下ろし当てる稽古を2月頃から始めているが、一度も先生の剣にあたったことがない。『そろそろ当たってもいい頃』と言われる。

7月13日 86日

体験入門者があり、合気関連の他流派と居合を数年稽古しているとのこと。その人と稽古をしたが、楽心館の基本的な技に『わー凄い!』とびっくりしていた。石川先生が『他のことは分からないけど、力技が多いかもしれないね』と言われていたが、私の個人的感想としては、「合気」に関して研究がされていないようだ。剣の素振りも見せてもらったが、彼は手先だけで振っているのが私にも分かる。先生『相手の欠点が解るでしょ。入門(私が)のころは同じだったんですよ』と言われる。その人の欠点が解るのは、それだけ進歩していることになるかも知れないが、気を付けなければならないのは、自分の気負い・力みである。

7月20日 88日

中野道場での稽古が7月末から9月末まで夏休みになるので、8月に個人教授をお願いしていたのが、次週から週一回4日間教わることになった。やはり、上達するには個人教授が必要だと思うし、最近、呼吸力について停滞というか、壁を感じているので乗り越えるきっかけをつかめればと思う。今日は先生から呼吸力を身につけるまでの様々な稽古話しを聞く。

7月23日 89日

今日の稽古は二教関連の技を何通りか教わる。先生に感想を聞かれたが、やはり技が多すぎて覚えられない。『一つでも覚えればよい』と言われたが、同じ稽古を2週続けてもらえると好いのだが。

稽古が終わって茗荷谷駅に行くと地震の影響で地下鉄が止まっていた。石川先生と一緒だったので、駅ビルでワインを飲みながら2時間ほど歓談したが、こんなことは二度と無いことだろう。楽しかった。

石川先生はいつも白帯締めて飾らずに飄々としているが、一体何者だろう?

7月26日 90日 個人授業日(1)

個人授業日の一日目。場所は上石神井体育館。最初は基本の「膝行」から。「膝行」の前進はともかく後退は膝が前進ほど曲がらず、ぎこちない。普段でも後ろへ歩くことはしていないのだから、慣れるまで何度もやるしかない。両膝を付けての「回転膝行」は、なお難しい。回転するとめまい気味になってしまう。平衡感覚が落ちているからだ。是はごく基本の動作のようであるが、石川先生の指摘する「軸を立てる」・「半身を捻らない」・「脱力した瞬間の直線動作」の条件を入れると、ものすごく難しい。「前方回転受身」も初めのころはフラフラとしていたのが、最近やっと慣れてきたばかり。石川先生は是も剣の理で行えと言う。意味が分からない。

今日は呼吸力や、二教に関連した技などを教わる。相手の片手首を掴み、同じ腕の肩や顎を軽く押すと簡単に相手が崩れる技を教わる。ポイントは『同時に2方向に力を働かせることと脱力』。2方向に同時に力が加わると人は立っていられなくなる。先生の動きを見ていると、軽くトンと突いて簡単そうに見える。ところが自分で試してみると、掴んでいる手首を手前に引く、あるいは横に引くなど単なる腕力になっている。また、腕に気を取られ過ぎてしまい、正中線への意識や脱力を忘れてしまっている。

7月30日 91日

個人授業日に教わった技を復習する。相手の手首を掴み肩を押す技(2方向同時)−自分の手は伸ばし、正中線に向かい、肩を開き、半身・種目足、脱力して2方向に軽く押す。技が掛かるときと掛からないときがあったが、2方向へ同時に力を働かせるのは、他の技でも同じではないだろうか?

9月2日 92日目 個人授業日(2)

「手解き・外」に関し、先生から好いアドバイスをもらう。掴まれた手首の肘を相手の正中線に向けるようにしていたが、先生曰く『人によって体の作りが違うので変えてみるのも好い』とのこと。なるほど、武道は人と人の体のぶつかり合いであり、体格・体型も違い、相手によってポイントを変化させることも必要なのだ。「ここだけしか技が掛からない」ではなく、ここでも掛かるということか。このアドバイスは覚えておこう。

片手を片手ではなく、両手で掴まれたとき(片手捕り両手持ち)の外し方も教わったが、この技ができれば初段ぐらいの実力があるとのこと。しかし、片手取りされた手をなんとか外す程度である。まだまだ遠い先のことだ。

一教から四教までの「掴み」を教わるが、とくに四教(手首間接を押さえる)で掴まれると動けない。まるで操り人形のように、先生に体を前後左右に踊らされてしまう。この「四教の掴み」は側で見ていても分からない。なぜ手首を外せないのか、と思っていたのだが、自分が技を掛けられて初めて納得する。

8月6日 93日目

手首を掴み、肩を押す技(2方向同時)を何人かの人と稽古してみたがまるで掛からなかった。どこが悪いのか、足りないのか、自分では原因をつかめない。基本の基である正中線でさえすっかり忘れている。今はこの程度でしかないということだ。

9月23日 94日目 個人授業(3)

2方向あるいは3方向への働きかけは、個人授業初日に教わった手首を掴んで肩を押す技だけではなく、全ての技に共通であり、たとえば「横面打ち一教」も同じことで、相手と自分の間に三角形の間を作ることが大事であることを教わる。

9月30日 96日 個人授業(4)

最後の個人教授日なので9級から7級までの技を復習。『よく覚えてましたね』と言われたが、先生の動きに付いていただけ、と言った感じ。通して教わると、やはり「転換」は難しいことが分かる。また「呼吸投げ」は上手くできない技だ。なぜかと言えば稽古をあまりしていなかったから。嫌いではないが、面白いとか、好きな技ばかりを稽古しがちで、稽古日誌を読めば一目瞭然で「手解き」・「上げ手」・「合氣の手」のことばかりだ。その好きな「手解き」等も復習したが、先生に押さえられるとまるで動けなかった。『以前は手加減していたからで、他の人には掛かるでしょう。それだけ上達したからだ』と言われたが、いつの日か、本気で押さえる先生を動かす日がくるだろうか。楽しみである。「二教」については正中線を意識して入り身をする、と言われたが「入り身」自体がまだよく分からない。しかし、いつも分からないからと聞いているだけでは駄目だろう。自分で考え、工夫・努力しなければ体得できないし、進歩しないだろう。難しいことだが。

9月19日

大正大学主宰の「伝統武道と合気道」の演武会の見学。合間に先生から、『去年と見方が変わったか』と言われ、「多少は」と答えたが、さてどうだろうか。日本伝合気柔術の演武のなかで、手を触っているだけで相手が動けなくなる、信じられないような技をみたが、本当に掛かっているのか、やはり自分が体験してみなくては納得できない。師範クラスの演武は、姿勢が良く、動きが滑らかで、柔らかい無駄がない動きに見えた。私と同年代の人も演武していたが、果たして自分があと何年合気道を続けられ、どの程度の進歩・向上ができるのか。加齢による体力の低下との競争もある。60歳過ぎての入門者がどの程度続けられるのかは、石川先生にとっても関心があるかもしれない。夜のテレビで、95歳以上の陸上50b競争の世界新記録を作った人を放送していたが、とても並の人ではできないこと。何歳までといった線は引けないが、なるべく永く続けられたらと思う。 

10月1日 103日

先生から『稽古を楽しんでいますか』と言われる。疲れが顔に出てボーっとして、冴えない顔をしていたのかもしれない。夏の疲れと、急に寒くなったこともあり、最近は疲れを感じていた。   

10月5日 104日

相対稽古で『拳で突くとき顔を動かさない』、『一・二ではなく一で突く』と注意される。先生の突きは拳がスルッと柔らかく伸びてくる。剣の振りと同じで、速い動きには見えないが避けられない。速くは見えないが速いのだ。あの柔らかさは何なのか、どうすればできるか。

10月8日 105日

稽古が終わって家に戻ってふっと思った。正中線を意識する、正中線をみる、あるいは正中線に向けて斬る、と教わるが、頭から丹田までの正中線のどこを意識するのだろうか。今までは漠然と顔から胸を見ていたが、どこでも良いということでは無いと思う。9月の個人授業日のとき、先生はここを見ろと指で示唆し、そのとおりにすると、その時は技が掛かったが、これも自分で試してみるしかないだろう。

10月12日 106日

ときどき通っている、針灸の先生から『心臓の動きが良くなっている』と言われる。心拍の動きから分かるとのこと。半年ほど前にも血管が太くなっていますよ、と言われたことがあった。内科の先生に聞いてみたら『データがないので分からない』。心臓が良くなっているかどうか、自分では実感ができないが、2時間ぐらいの稽古は疲れを感じなくなっている。

10月15日 107日

先生に稽古でバタバタと投げられる。多少フワットしたが、慣れてきた。それだけ体が合気道をできる体になってきたということか。 剣術−八相からの打ち込みは速く振れば相手の剣に当たるが、ゆっくりでは当たらない。当たらないと何とか当てようとして速く振るから、肩・上体が動く。この繰り返しだ。力で振るのが直せない。

10月19日 108日

片手首を取り肩を押す技を先生に再度教わる。入り身、正中線、脱力、膝・腰を使い肩を軽く廻す。この技を四年生の学生に教わるつもりだったが、できないと言われた。やはり難しい技なのだ。剣術−相対稽古で八相からの私の打ち込みを相手に聞いてみた。剣は早いが肩が動くと言われる。うーんそうなのだ。鏡を見ながらの素振りでは上体が動かないように振っているが、相対稽古になると当てようとして、力みが入る。直すまで時間がかかりそうだ。

10月22日 109日

「合気上げ」の稽古。先生からは『指先の狙いが上になっている』と指摘される。

11月2日 112日

「四方投げ」を教わる。片手を掴まれた状態から上げ手で崩し、腕と脇の間から身を入れて一回転し、斜め後ろにつき、手を持ち替えて相手を後方に投げる。『この技での死亡事故が合気道界では多いので、稽古の時は頭を打たないように気を付けること』と注意を受ける。「手解き・上」について先生から『手首をまっすぐ挙げる』と教わる。なるほど力のぶつかりが無く楽に挙げられる。先生の肘の動きを見ていると、今までは肘が後に下がり、引いているように見えていたが、引いて挙げるのとは違うことが分かった。

11月9日 113日

「手解き・上」を先生に稽古を付けてもらう。教えたことをかなり身につけたと誉められる。こういう誉め方をされたのは始めてで、先週の先生のヒントが良かった。そのヒントも以前だったら言われても理解できなかったと思う。「入り身・転換」はもう少し。肘を外から廻して直線になっていないと言われる。外から廻してしまうのは多くの人が注意されることだが、直線に相手へ入るというシンプルな動きが難しい。

11月16日 115日

先週、7級の審査をすると言われていたのだが、覚えていない技もあるので延期してもらう。7級の稽古はほとんどしていなかった。

11月30日 116日

旅行に出ていたので2週間振りの稽古。剣術は上段からの素振りがよくなったと言われる。

12月3日 117日

「手解き」を力のありそうなTさんと稽古。先生からどうだったと聞かれたが、私のほうは外せたし、挙げることもできた。(どこまで本気で掴んでいたのか分からないが)。その後、Mさんにも掛かり自信を持つ。

続・稽古日誌を何度か読み直しをしてみたが、自分が上達していることが分かる。ただ基本がまだ解っていない。たとえば正面打ちの時の「取り」と「受け」の足構え。相半身か逆半身なのか。ビデオをみたり、参考書を見たりしたが、今ひとつはっきりしない。合気道を始めて一年半、何をやっていたのか。基本のやり直しが必要。 

12月7日 118日

7級の審査日。「片手交差取り−呼吸投げ」は上げ手で崩したあとの動きが分からない。自分できちんと覚えていないのだからどうしようもない。審査の直前稽古でHさんに教わる。審査は「正面打ち−入り身−呼吸投げ」や、「胸突き−呼吸投げ」の対応などかなりモタモタしたが何とか終了。先生からは『力業になっているから充分注意するように、基本技だから今後も稽古を』。その通りだと思ったし、自分でも情けない。「呼吸投げ」は稽古量の少なさが、そのまま審査にでてしまった。6級の審査のときはそんなことが無いようにしよう。

12月21日 122日

中野の今年最後の稽古日。怪我もなく一年が終わる。昨年の日誌を読むと、一年後はかなり上達するかも知れないと書いてあったが、かなりはともかく、ある程度は上達したと思う。覚えられないとか、分からないなどの言葉も少なくなり、体の動かし方も良くなってきている。

12月24日 123日

太極拳の同好者で合気道に興味がある人に稽古の見学に誘っていたのだが、その人が文京道場の見学にきた。基本動作を体験してもらったが、力を感じない動きだと感想を漏らしていた。水曜日の入門を薦める。(結局この人は、二度と来なかった)

2006年