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術より道へV

「戈」と「止」


武術とか武道といった場合の、「武」の意味をいま一度吟味してみよう。白川静『字統』(平凡社)によると、「戈」と「止」とを組み合わせた形(漢語で「会意」)だという。止は「あしあと」の形で、甲骨文字の形は之(ゆく)、行く、進むの意味がある。戈を持って進む形が武で、それは戈を執って戦うときの歩きかたであるから、「いさましい、たけし、つよい」の意味となる、という。また戈を持って進む「もののふ、武士」の意味に用いる、とある。また、藤堂明保『漢字語源辞典』(学灯社)では、「止+戈の会意」である。この解説は<左伝, 宣公12年>の楚の荘王のことばによるものであるが、戈を止めるのが武の字ではない。止は人間の足(趾)の変形であるから、人が戈をもって行進することを表す会意文字と考えるべきである、とある。

一方、鎌田正・米山寅太郎『大漢語林』(大修館)には、会意として、止+戈。止は、足の象形で、いくの意味。戈は、ほこの象形。ほこを持って戦いに行くの意味から、たけしの意味を表す、という点までは白川静、藤堂明保と同じだが、『左伝』の宣公十五(十ニ−稿者注)年では、止戈(戈をとどめる−傍点稿者)の合字が武であるとする、とある。

ここで、白川静、藤堂明保の語源解釈にこだわる派と、鎌田正、米山寅太郎のように語源による原義と、そこから派生する転義を理解しようとする派があることがわかる。なにしろ漢字が象形文字より発明されて数十世紀にもなるから、時とともに原義の意味が薄れて、転義の意味に専ら用いられる例は、欧米語においても和語においても漢語においてもみられる。漢文・中国語専門の先生に言わせると、「小心翼翼」「戦戦兢兢」は日本では「気の小さい、臆病な」といった意味にしか用いられないが、中国では「注意深い」といったよい意味に用いられる、という。そこには時代と距離の隔たりとともに、語の意味の乖離が生まれるようだ。ところで、たまたま知人からご教示いただいた文字学の加藤道理『字源物語』(明治書院)に次のような字解の説明が目に入った。

<武はほこの形を象った戈(カ)に足(→止)を加えた会意文字であり、武器を身におびて進み行く意味の字であるが、『説文』は『春秋左氏伝』の宣公十ニ年に「楚の荘王が、武とは戈を止めること、すなわち干や戈を収め、弓や矢を袋に入れて用いず、美しい徳を求めて王者として天下を保つことを言うのだ」とあるのを引いて、武は「干を止める(戦争をやめる)」ことと解説しているのは、武力ということを極めて倫理的に解釈したものである。私が以前勤務していた大学(桜美林大学−稿者)の武道館(柔剣道場)の名は「止干館」と言ったが、これも武道の本質は戦いをやめさせることにあるという命名者の願いからつけられたものであろう>

まことに同感である。ではいかにして「武」の原義(語源)である“武器をもって進む”が、“戦いを止める”へと字義が変遷していったのであろうか。そこには『春秋左氏伝』が平和主義者孔子およびその弟子による編纂ということが大きく左右しているであろう。つまり孔子は最高の道徳を「仁」であるとし、「人を愛すること」と定義しており、そこでは「武」を「たけだけしい」意味から大きく飛翔しているのである。ところが1912年、大陸中国では魯迅らが、さらに1973年の「批林批孔」運動において、孔子の倫理観は封建的陋習として批判されたのである。そこから「武」の倫理的善意な解釈はむずかしくなってきた、という経緯があろう。しかし私たちは日本という風土での「武」の実践者として、「武術」ひいては「武道」の現代的意味をどのように理解すべきか再考してみる必要がある、と思われる。






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